無外流居合兵道(むがいりゅういあいひょうどう)
無外流居合兵道は、日本古来の伝統武道である居合道の一流派です。江戸時代の辻月丹資茂(つじげったんすけもち)を流祖とし、現在の兵庫県や大阪府など関西地方に広く普及した流派です。
居合とは、刀を鞘に納め帯刀した状態から抜きつけ、相手を制する武術で、室町時代末の林崎甚助が開祖といわれています。相手は近くにおり、自分は長刀を帯刀している、という不利な状況でいかに勝つかというところから居合が生まれたとされています。
辻月丹は、幼少の頃より剣術の稽古に励み、長じて山口卜真斎に入門、そして皆伝を許されます。その後諸国を武者修行し、江戸へ出て道場を開きますが、自分の実力に不満を持ちまた一人修業を続けます。と同時に禅の修行も開始し、参禅すること長年、ついに大悟し「一法実無外 乾坤得一貞 吹毛方納密 動著則光清」との一喝を授かります。これが無外流の流名となりました。
現在の無外流は、無外流中興の祖である、十三代中川士竜先生によって「無外流居合兵道」として確立しました。そして十五代塩川寶祥先生になり、日本各地、さらには海外まで普及しました。
無外流の特徴は、形式美などにこだわらない、常に真剣勝負を念頭とした、実戦に則した居合であるということです。晩年の月丹に、無外流の神髄を表すような逸話があります。ある日、庭で薪を割っていたときのこと、1人の武芸者が来て立ち合いを求めるということがありました。月丹は黙っていましたが、武芸者は「ぜひとも無外流を見たい」と一歩も後へ引きません。そこで月丹は転がっていた薪を手に取るやいなや「こんなものだ」といって一撃。その一撃で屈強な武芸者はあっさり昏倒してしまったということです。